最近、ちょっと気になっていることがあります。
前世を占うというのがどうも人気らしいことです。

人が前世があると信じ、そのことに興味を持つのは、喜ばしいのですが、
前世を占うと言われると、
それはちょっと違うんでないのと思ってしまうわけです。

そもそも占うとは「占象によって神意を問い、ことの吉凶を考え定める。」(広辞苑)ことで、
占ってもらう方々は、前世の吉凶を知りたいということでしょうか。
違いますよね。
自己にどんな前世があるのかを知りたいのではないのでしょうか。

私が変だと言っている理由がおわかりでしょう?

以前友人が受けた前世占いでのこと。
「自分はイタチだったって。」。
これを聞いた私は二の句が継げませんでした。
この友人は中学時代に仲の良かった人で、久々に交流が再開したばかりでしたので、
私が仕事として現在何をしているのかも彼女は知らなかったのです。
ただ、最近の自分の話題としてこれを話していたのでした。

人間である私達に動物の過去世が一度もないと、
仏教の思想を否定する気は私にもありませんが、
「イタチだった」!?
そんなことを知ったところで何になるのかと、私は思ったのでした。
しかも、詳しくは聞かなかったけれどその占い見料に一万は払っているようでした。


前世がしばしばリーディングできてしまう私から言わせれば、
前世は占うものではないし、
知ることは場合によっては、癒しや人生の転換に繋がることにもなります。
気楽に向き合えるものではありません。
前世を知るためのツールではないけれども、
オーラソーマに出てくる前世の情報を知ることの方が何倍もマシだろうと思います。

遊びと割り切っているのならとやかく言うことではないと思いますが、
前世は吉凶を判断するようなものではないのです。

だって人生に起きていることの吉凶は、
個人の自己判断で決定付けされているのですから。