均整法、二度目のを受けてきました。
その施術中、肩及び首の調正の時に言われたことなのですが、
「これはかなり辛いんじゃないですか?」
という質問が施術者からあったのですが、
自分としては「う~ん?」と、首をひねるしかないものなのです。

私が辛い時って本当にもう起き上がるのも出来ない状態で、
自分の意思で動けている現在の状態を辛いとは、
感じていないのだということに、
気づかされたわけです。
つまり、辛い状態というのも何を基準にしているのかが、
個人で違うということなのですね。

おおよそ、健常者の状態を生まれたときから知らない私にとって、
現在の身体の抱えるしんどさの中には、
ない状態のないものもあります。
例えば、膀胱の内圧が健常者の二倍の私は、
下腹部にはほぼ常に緊張も抱えているわけです。
これが、常態の私にとってこれのない状態というのは、知りようもない。

知らなければ、これが辛いとも感じられないのです。

ただ、最近疲れやすいと感じていたのは、
間違いではなかったらしい。(^^;)A
年のせいでなくてよかった・・・。


個人の忍耐力は、産まれた時に母親がどれだけ頑張ったかに左右されるという
説があります。
この説が本当なら、難産だったと聞かされていた姉や私、
40時間も分娩台で姉が頑張って産まれてきた姪、
難産な家系であることは、私達に高い忍耐力をもたらしていることになる。
確かに姪に関しては、叔母の私が呆れるほどの、忍耐力の持ち主ではあります。

反対に最近のキレやすい子供や若者は、出産の時に無痛分娩であったのかもしれない。
統計がとれれば前出の説の証明にもなるのかもしれませんが、
これは私の仕事とは微妙にずれることなので、私はこれ以上は追及しません。

よく、端から見てヒーリングなどを受ければいいのにと見える人ほど、
受けることがないと、いいます。
もしかすると、こんなところにも生まれで身についた耐性が、
影響を与えているのかもしれません。


どうやら、
身体の辛いのも、楽になったことがないと、
自分の状態が辛いのだとは気がつかないもののようです。

私は身体をもいたわっているつもりだったのですけれど、
まだまだ愛し方が足りなかったみたいです。
道理で、アンブリエルのボトルがなかなか使い終われないはずだと、
納得した私でした。