祖師谷の新居に越して4ヶ月、
なんだか昔からここに住んでいたような気分になりつつあります。

私の住む部屋のそばにはお屋敷が数軒あっていろいろ驚かされます。
引っ越してすぐに鶯がいたのもこのお屋敷の何処かの梅の木ではないかと思います。
先日は夕暮れに蜩が鳴いていました。
ここはぎりぎり環八の外側で、
育った稲城よりはずっと都会だとおもうのですが、
自宅にいて蜩の声を聴くことは、稲城でもありませんでした。

そのお屋敷のひとつに庭先に祠があるお宅があります。
塀越しに道路からも拝める形になっていて祠のすぐ近くには、
保存樹に指定された銀杏の木があります。
茶室の隣にあるこの祠を、遊びに来てくれた姉を駅まで送るときに見つけ、
私はものすごく驚いたのですが、
私と違って歴史や神様関係のことに興味のない姉は、
屋敷稲荷と同じようにしか思わなかったらしく、
私が何にそこまで驚いたのかを理解できません。
その祠の鳥居には「大六天神社」とあります。

大六天の神様は、一説には正体不明の神様ですが、織田信長が奉っていたとされます。
もともと、世田谷は用賀インターチェンジのそばに、
大六天神社があって、そこのご神木の銀杏の木は天然記念物にも指定されていたので、
高速を作り、側道をつくる際にも流石にこれを無視することはできず、
ご神木を避けて道路が曲げられて作られていました。
私が姉の家に居候している時代のある年の台風でこのご神木は倒れてしまいました。
寿命だったのではと思いますが、
ご神木が無くなったら神社もこわしてしまったようです。
つまり、お屋敷の銀杏は、かなり昔にそこのご神木より分けたものなのが想像できるのです。
祠は道路に面して作られているので前を通る時に自然に頭が下がります。
見られているのを感じるからです。

ある時の駅からの帰りに私はとても具合が悪くなって、
近道である祠の前を通る道を歩いていました。
もうすこしで自宅だけれど気が遠くなりそうになった瞬間、
ふっと身体が楽になり無事帰宅できました。
その時は何がおきたのか考える余裕がなかったのですが、
後からもしかしてと思い後日確認にいくと、
やはり大六天の神様が力を貸してくれていたのでした。
しかも、私が過去世で織田の血筋に繋がる者であったことも見抜かれていました。

日本の神様も流石は神と呼ばれる存在で侮れません。


そういえば、ウルトラマン商店街側に神社があるのですが、
私はここには引っ越してから一度も挨拶に行っていません。
自宅からの距離で言えばどちらも変わらず、
土地面積で言えばこちらは普通の神社ですので大きいのですが、
神職が常駐するようなところではありません。
行こうと思う日には何となく用事が入ったり、具合が悪くなったりで行けずじまいです。
こちらはお稲荷さんです。
ここまできたら、
秋にはお祭りをするのが普通ですから、これを待ってみようかしらとも思います。

お祭りの時に町内にしめ縄を張りますよね。
あれでそこの神社が氏神として護る土地の境界線がわかるからです。
近いからというだけではそこが氏神になるわけではないのです。

日本の神様の場合、相性もありますしね・・・。
すでに、過去世の縁で言えば、
私は大六天の神様とは相性がいいということにもなります。


他にも新居があらわす面白いサインがいくつかあるのですが、
とりあえず本日はこの辺で・・・。

写真はほかだったら間違いなくご神木クラスの屋久島のひめしゃらの木です。