神聖なる神の第6番目の光線、それがリザレクションフレームです。

私はこの光線を呼び出すときには、
「6番目の光線」または「リザレクションフレーム」と呼び、
日本語の「復活の炎」とは呼びません。
日本語の「復活」は、「resurrection」を限定する言葉ではないので、
「復活」で呼ぶとエネルギーが曲がってしまうのを感じるのです。

確かに「イエスの復活」と、磔にされて一度死した後に、
生き返った様子にも日本語では「復活」を使用しますが、
あれは甦りであり、すなわち黄泉がえりの意味なのです。

日本語の復活が、同じ意味を持って使われているとは思えないのです。


さて、先日自分の視力がとても悪くなっていることに気づいた私は、
正しく状態を把握した後、乱視や老視の心霊学的意味を受け入れ、
これをヒーリングしました。
それから、このリザレクションフレームを視力限定に注ぎ込んでもらったら、
先日測定してもらった老視のレベルプラス1のメガネがきつすぎて、
試着でも使用できません。

一般に老視は30才位から始まるそうですが、
その進み方は個人差が大きいものです。
ここにあるのは、「あの世という将来のことに意識が向かう状態」と、
肉体の老いというものが関わっています。
肉体の老いは癒しでは変えられません。
ここに変化をつくれるのは、死さえも超越するリザレクションフレームのみです。
しかしここには、精神にある「肉体は老いる」という人類普遍の観念の変化も
実現にともない必要とされます。
ゆえに、現実的に肉体を蘇らせるためには、
その人の精神体にあるものを変容するために、
まずヴァイオレットフレームが必要なのです。

こうしたことを正しく理解して、適切にこれらの神聖な炎が使われるなら、
肉体すらももっと命を長らえることが可能なのです。


アセンションは肉体という3次元を越えてしまうので、
5次元の人々には滅多に死は訪れません。

私達は選択次第で、永遠の命を手にすることも出来るそんな分かれ目の時を
迎えているのです。