昨日は、箱根にお花見に行ってきました。
昨年の夏からなんやかやと続いていた不調もカルマの消滅にて落ち着きを取り戻し、
考えてみると江ノ島、鎌倉以外にしばらく出掛けていない私でした。
最近毎日歩くようにしていますが、アスファルトかコンクリートの上しか歩く場所がないので、
自分のエルギーは補充するより取られるばかりの印象があります。
それでも以前買った靴は穴が空いてしまいましたので買い換えました。

私は姉と幼なじみの三人で月に1回は必ず顔を合わせる会を設けています。
当番は持ち回りで、今月は私が幹事でしたので、
花見の会を企画して東京脱出を図りました。
日帰りできる場所として箱根に行ってきたのです。
旅歩きの本で「一目万本の桜」という桜のスポットをみつけたのですが、
ここを目指していってもこのメンバーだと花より団子の傾向が強くなる。
ひとりは電車が苦手だし、ひとりは車が苦手だしで、(二人ともパニック障害の傾向がある)
移動手段だけでも一波乱、でもそこは幹事の仕切りで決めてしまいますけれどね。
美味しいそばをいただいて目的地を目指しますが、
湯本よりも高い場所なので、まだ蕾でした。
開花は来週あたりか・・・。
残念でしたが、宮城野の早川沿いは、ちょうど見頃を迎えていましたので、
一応花見は出来ました。



このメンバー、お酒は飲めるの私だけです。
ですから、私の周りには桜を観ながらお酒を飲む人はいません。
私も夜桜で飲んだというのは会社に勤めていた時1回きりです。
でも、遠慮することのない関係の女性が三人いれば、素面でもかしましいものです。

三人のなかでは私が団子より花な人間なので、
このメンバーで行動するとなると一番カラーが違う行動になります。
帰りの車中でも姉と幼なじみは、桜の木を見る度、「ほら桜よ、見られて良かったね。」と、
茶化していましたが、私は箱根まで行って同じ染井吉野でも東京とは違うのを実感しました。



「東京の植物は黙して語らず」とは、昔からよく耳にする言葉だったのですが、
歳を経ても精霊の宿ることのない話しかけても語りかえす元気もない木が多いと、
聞いていましたが確かに宿っているパワーが違います。
桜を観る度、茶化している二人には意識的には感じることが出来ない違いです。


何故自分の家族や身近な人々が、この二人のように現実主義者なのか。
長いこと不思議でなりませんでした。
私ひとりが鬼っ子という現実は、なかなかにきついものを沢山私にもたらしたからです。
でも、それは私の中にあるものの反映でも何でもなく、
ただ、時代と社会の反映なのだと知ることが大切だったのかもしれません。
二人は長女なので親や周りの期待を裏切ることが難しい立ち位置で育っています。
私は末っ子ですから、タイプとしては平気でわがままが言える人です。
二人の数秘は8と11でこれでみるなら、霊的なことも受け入れられない人ではありません。
(バースナンバーでみています。)
でも、現実主義にしかなれないところが、二人の霊的アンバランスのもとなのかも・・・。
ヒーリングという行為さえ受け付けない二人ですので、
私のことはわけのわからない奴と思っているのかもしれないのに、
一生付き合うことを決めてこんな会を続けている二人は、
確かに魂を成長させる刺激を与え合うソウルメイトだと感じるようになりました。