私には4つ違いだけれど、よく双子に間違われる姉がいます。
姉が年より下に見えるタイプで、私は上に見られるタイプだからです。

最近では、私がかなり年齢不詳な人になっているので、
双子とは言われなくなってきていますが、
姉妹なのは一目瞭然なほどに似ているらしい。

こんな存在が生まれたときからそばにいると、
やはりインナーチャイルドに与える影響は大きい。
親は当たり前のように上と比較して育ててくれるし、
同性なので服もお下がりがほとんどでした。
すると似合うか似合わないかなんて関係ない。
そして、親というものは最初の子供には2番目や3番目よりも、
お金をかけることが統計でも出ているらしい。
はっきり覚えているのは、
姉が20才の誕生日を迎えた時、
父が姉に「おめでとう」と一粒真珠のネックレスを贈っていた。
では、私の時はどうかというと、父は私の誕生日すら覚えていなかった。

すでに大人な私は、前年に母が亡くなっていることや、
父が定職に就けないでいたことも理解してはいるが、気持ちは割り切れない。

さて、そんなこんなの恨み言が言いたくて、
今回これを書いているわけではなく、
どのような親であっても一人っ子の場合と私のように姉などがいた場合は、
ヒーリングすべきものが違う気がすると思うのです。
私の友人には不思議に一人っ子が多かった。
だから、友人には私の感じるものを共感してもらえたことがあまりない。
親が決して子供に平等ではないということすら、
話しは聞いてくれても、感覚的な部分で理解されないのです。

姉は、私の身体が弱かったために、
私の誕生後は母を奪われたと、軽い自家中毒も起こしたらしい。
その姉から見れば、私の親に対する愛情への不満は不快でしかないらしく、
姉とはまず、こういう話を掘り下げることは出来ない。
姉は私とは違い、本質的には右脳派の実は感情優先型なのです。

持って生まれた質も違えば、立場も違うので、同じ親に育てられたはずなのに、
絶対に抱えているものには違いがあり過ぎると感じます。
つまり、ヒーリングすべきポイントが全然違うのです。

例えば、私達の笑い話になっている七面鳥事件。
クリスマスに用意した七面鳥を絞めて料理したことに姉と幼なじみは、
二人で部屋に籠もってハンストした。
けれど、空腹なのは良くないと、差し入れられた料理を七面鳥とわからずに食べてしまった。
「ひどい親達だよね。」と、二人は笑って話す。
私はそこに不在だったわけではない。
朝、その七面鳥にとっての最後の食事になるものを与えたのは私だった。
私は何も言えなくなるほどショックだったのに、
もともと寡黙で食の細い私の様子には、
七面鳥というご馳走の前に、
親達は誰も気づかなかったのです。

同じ事件のなかにあってさえも、受けるものがこれほど変わるのです。


一人っ子はひとりだけで親と向き合わねばならないから、しんどいという人がいますが、
私はこれはそうとも言い切れないと思います。
姉がいるから、祖父母がいたからなどによってむしろ、ヒーリングポイントが増える
そんな気がするのです。