日曜・月曜は、幼なじみの誕生日を祝うために1泊二日で鎌倉へ。
・・・いやぁ、鎌倉って小学校の遠足でも行った場所なので、
泊まりがけでいくという発想が私にはなかったのですが、
主役の幼なじみは、世田谷で育ったけれども、鹿嶋にお嫁に行ったことから、
何十年単位で電車に乗ることが無くなったために、
電車やバスが苦手なので、日帰りでは行けなくなるのです。

小雨の降る鎌倉は紅葉が鮮やかな、観光にはよいタイミングでした。



さて、今回の旅行で、幼なじみには初めて私の正体(!?)が見え始めたようで、
驚きつつ、「サボっている。」という、わけのわからん非難をされましたが、
母のことを読み取ってくれたのは収穫でした。

曰く、「おばちゃんは、視える人だった。」。
これには、私は驚くしかない。
これに対して、姉までもが、同意するのです。
私は母にそんな素振りを感じたことは一度もなかったのですけれど・・・。
「ただ、パパのお母さんに、嘘ばかり言うどうしようもない女とか、
ひどく罵られて、視る力を閉ざしてしまったんだよ。」というのです。
さらには、「(私)の力は遙かに自分を超えていたからそれが恐くてしょうがなかったんだよ。」とも。

嘘か真か、本人がすでに他界していないので、
確認のしようがない話ではありますが、
私が長年、他者と向き合い、こうしたサイキックな力の持ち主を多くカウンセリングしてきて、
はっきりと体感しているのは、
体質的能力は、特に母方から遺伝するものであるということです。
卵子と精子の結合で受胎は成立するわけですが、
その実際的大きさを考えてみれば、
母方から受け継ぐものの大きさは、推してはかるものがあります。

ここから普通に考えれば、私の能力は母方からの遺伝であるはずなのです。


「こんなものすごい力の持ち主ならば、ちょっとわかる人は皆怖がって近寄らないよね。」
本人だけが理由がわからないけれども、
周りが遠巻きになって当たり前だったろうと、別の友人と同じことを言う。


子である私の能力が、親を凌駕するものであったことは、私の責任ではない。
けれども、これが親と子が葛藤しなければならない典型的要素たりえるのです。

私の記憶の中の母は、そういう人ではないのですが、
私より4年先に生まれている姉と、2年先に生まれている幼なじみの2人に、
私にない母に関する記憶があったとしてもそれは不自然ではないと思います。