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不調の原因-エーテルギャップーからの脱出3 [エーテルギャップとアストラルギャップ]

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第三章 オレンジの記憶

 私には子供の頃の一連の出来事の記憶に不自然に欠落している部分がありました。その出来事の始まりとその後、及び結果だけが記憶に残っていて、物語に例えるなら、起承転結の転の部分の記憶がないかたちになります。小さい頃のことなんてあやふやなところがあるのは当たり前と言われれば、それまでですが、何か引っ掛かるものを自分で感じ続けていました。これとは別に私は一度だけ心臓発作を起こしたことがあるのを覚えていましたが、長い間これは別々の記憶であると思っていたのです。ところがこの二つに分かれた記憶が実は繋がった出来事であったことを2000年10月に行なわれたカウンセリング・スキルコースに参加中、思い出したのです。
 私は前述したヒーリング・クライシスを起こした後々も、オレンジのポマンダーとポケットレスキューのno.26を常用し続け、その量は125mlを超えていました。
 しかし、独力では文献による判断で心因性記憶障害を起こしている上にPTSDも出ていることまではわかっても失った記憶をこれ以上取り戻すことは出来ませんでした。
 やがて2001年の春頃、自分の部屋に置かれた棚の中のボトルに変化が訪れました。no.79(オレンジ/ヴァイオレット)の上部がゴールドに変化したのです。私はno.79のボトルとワークすることに取り組み、使い終わった後でヒプノセラピー(退行催眠)のセッションを受けて、記憶の取り戻しを図ることを決意しました。
 ヒプノのセッションは、始める前にインタビューが行われ、なりたい自分や現在上手くいっていないこと、気になっていること等が話し合われました。
 私は長い間、家族間の依存の問題に悩まされていました。当時の私は身体の問題があるので企業の中でフルタイムの仕事につくのは難しく、自営販売による収入も非課税所得範囲内の小遣い程度のものなのに、同居していた父が経済的に私に頼りきってしまい、父の収入は家計に一切お金を入れないという状態だったのです。これに耐えられなくなった私は、姉の嫁ぎ先に逃げ込んだのです。そこは4世代同居という介護の手が必要な高齢者もいれば、未就学児もいる猫の手も必要な状態でしたので喜んで迎え入れていただいたけれども、当然私も家族の日常ケアに忙殺されるし、知らない他人が家に入られるのは困るとの理由でカラーセラピーのクライアントを住まわせてもらっている家で取ることは憚られるという状態でした。私は身近な者に振り回されすぎる自分というものを認識し、自分が長年抱えてきた依存の問題と向きあう必要性を感じ始めていました。
アメリカのカウンセラーであるロビン・ノーウッド女史の主張する通りに、私は愛しすぎる女達であり、自分に頼らせることで自分もその関係に依存するパターンを持っていると思われたのです。こういった依存の問題と記憶の欠落の件等を話し、記憶を取り戻したいという要望を伝え、退行催眠に入りました。最初から上手くその記憶が取り戻せるとは限らないとの説明が前もってありましたが、私の場合はその時のことがイメージとして出始めたのです。
 事件は私が小学校へ上がる前年、祖母の他界に伴い父が母の反対を無視して仏壇と位牌を持って帰ってきたのが始まりでした。突然のこととて置き場のないのに困った母は、押入れに取りあえず安置することにしたのです。これに幼い私が泣いて反対していました。「お祖母ちゃんが怒っているよ。仏壇を押入れから出してあげて。」とせがんだのです。この発言が母にとっては耐え難いものだったようです。この当時の私は初めてのお宅にお邪魔しても家人の案内なくしてその家の仏壇の前に行き、長々座り込んでいるという、周りの大人にはどうにも理解出来ない奇行をもともと繰り返していたらしいのです。そんなある日、母は私を連れて母の親友の家に行き、この話を相談したのです。私は1人庭で遊んでいたのですが、雨が降り出した為に家の中に入り、偶然にも母の漏らした言葉を聞いてしまったのです。
「気持ちが悪い。あんなの私の娘じゃない。」私の存在に気付いた母の親友の機転でなんでもなかった振りをする2人を前に今の会話について追及することが出来なかった私は、この直後心臓発作を起こして倒れ、以来この時の母の言葉と自分が霊を見たり霊と話したりすることも忘れてしまったのです。
 ヒプノのセッションではセラピストの指示が入り、黙ってしまわずに言いたいことを言うようにとのことで、私はイメージの中2人に向かって気持ちを伝え2人からの謝罪を受けることとなりました。このセッションは二時間半に及び、この日の私はとても疲れてしまって夕飯の味噌汁にさえ顔を突っ込むような有様でした。
 退行催眠で得られた情報が真実であるかどうかについては、議論の的となっていますが、残念ながら私の体験さえも当事者である母がすでに他界しているため、外的確認はとれません。自己の内的確認においてのみの真実であるといわざるを得ません。
 「インナーチャイルド」の著者ジョン・ブラッドショー氏によれば子どもを最大級に傷つける言葉の一つに「産むのじゃなかった」というのがあると書いていますが、私の聞いた「私の子じゃない。」というのは考えようによってはこれを上回る言葉ではないでしょうか。前者には存在の否定はあっても親と子の関係性は認めているのに対し、後者は関係性すら否定している言葉だからです。しかもこの頃の私というのは既に父との心理的断絶を経験していた為に自分にとっての完全なる家庭の崩壊を意味することとなってしまったのです。
 また、自分には当たり前のように目に見えていた人物(霊)が周りの人には見えていないと知ったら、ショックを受けるのは当然なことではないでしょうか。子供は本来大人のような固定観念が無いため、自分の見たまま感じたままの世界と他者にとっての世界の相違に、自ら気づくことはありえません。幼いヴィッキーが小学校デビューの日に泣いて帰ってきたように、自分にとっては目前に人が居るという現実を周りの人から否定されて始めて、そこにある埋められない認識のギャップに気付く事が出来るのです。
その後も二週間に一度のペースで私がヒプノのセッションを受け続ける三ヵ月位の間に、私はno.26を使いながらヒプノに通い続け、そしてセッションはとうとうバーストラウマに達していました。私のインナーチャイルドが、最も恐れて近づきたくなかった記憶は、出産直後の体験だったのです。私の両親は私が障害を持って生まれてきたことにショックを受け、喜びでもって私を抱くことが出来なかったようです。無事に育つのだろうかという不安で一杯の両親に抱かれる体験は、中々に苦痛なものであったとしか表現できないものでした。私はこのセッションで、自分の愛情に対する飢えの原因を理解できるようになりました。
私の家は特別恵まれた家庭ではなくとも、普通程度以上には愛情に恵まれて育ったと私は思えるのに、自分のどこかで満たされない思いを抱えていたのです。これは自身の自己評価の低さという形で現れていました。
さて、インナーチャイルドというのは1人ではなく、主人格とも言うべき代表となる年代の存在はあるのですが、主な年代別に分かれた何人かのインナーチャイルドがいるのです。前出のブラッドショー氏はインナーチャイルドを癒すテクニックとして、以下のように分けた年代別のエクササイズをすることを薦めていますが、自分の体験から私も賛成したいものです。
※乳児期の自己  (0~9ヶ月)
※歩行期の自己  (9~18ヶ月~3才)
※学童前期の自己 (3才~6才)
※学童期の自己  (6才~思春期の始まり)
※思春期の自己  (12才~26才)
 もちろん個人個人の体験によって傷付いた体験のあまりない時期もあろうことかと思われますが、著者はそれぞれの年代のエクササイズの前に、イエス・ノーの質問形式により、この年代がどの程度傷付いているかを先ず自覚させるところから始めています。これに対しヒプノセッションの場合は、セラピストの指示でランダムに癒しが必要な時代に戻るようにしているので、この作業は必要が無いと考えられます。
 私の場合、前述の親からの否定は学童前期に、大きな精神的な虐待を受けたことになります。虐待に関してはその基準はあくまでも当事者にあり、当人にとって苦痛を感じるものであれば虐待でありえるわけです。そして、私はそれに関わる記憶の一部と自己の能力を見事に忘れてしまったのです。オレンジに象徴されるショックのレベルは『そのことを覚えていてはこの先、生きてはいけないほど』であると私はティーチャーのリッキー・ヒルダー女史より教わりましたが、私の場合もこの通りであったわけです。又、この体験の元となっている親による子どもの能力による類別という行為は、西欧的であり、父性原理によるものになります。日本社会は一般的に母性原理に基づくものであるとユング派の心理学者河合隼雄氏は、言っていますが、これは
『母性原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きに付け悪しきに付け平等に可愛いのであり、それは子供の個性や能力とは関係のないことである。(中略)これに対して、父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子供をその能力や個性に応じて類別する』ものであるという。そして、『父性原理には強いものをつくり上げてゆくという建設的な面と、又逆に切断の力が強すぎて破壊に到る面との両面をそなえている』と続けている。(母性社会日本の病理より抜粋)
 オーラソーマにおけるピンクが母性を象徴するのに対し、ブルーが父性(権威)を象徴することを考えると、ブルーの力が強力であった時にその体験の結果として、ブルーの補色であるオレンジの部分に影響が出ているのです。










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AKAZUKIN

年齢によってお傷つく内容って違ってきますもんね。。
by AKAZUKIN (2023-05-16 12:02) 

A・ラファエル

AKAZUKINさん

確かに年が上がれば理解できることの幅が拡がりますから、
幼いほどショックは大きくなりそうですね。
by A・ラファエル (2023-05-17 23:01) 

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