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メタボ猫の悲劇 [アニマルヒーリング]

ミクシィのニュースでメタボ猫の存在を知り思わず怒ってしまいました。
一部ではかなりのブームになっていたらしく、
つくったグッズも売り切れ販売ネットは回線がパンクするという事態もあったらしい。
確かにトラ猫は平均から見れば大きくなります。でも、限度があるでしょう
普通の猫が60kgを超えるのも異常な話なら、
100kg超えを望むファン心理も異常と言わざるをえません。


私達が動物の愛らしさに癒されるのは事実です。
しかし、自己の満足(癒し)の為に他の生き物の健やかな生命のあり方を奪う権利があるのでしょうか。

私は以前アニマルヒーリングという活動にとても惹かれていた時期があります。
動物の能力によって重症患者が奇跡的な回復を得た話もあります。
癒しを学ぶ者なら興味があるのも自然なことであったかもしれません。
そんな私の意識を根底から揺さぶってくれたのは、姪でした。
動物愛護週間に上野恩寵公園にて行なわれる動物愛護のためのイベントの中に、
小学生の作文によるシンポジウムが行なわれ、人数の穴埋めに彼女は引っ張り出されたようなものでした。
もちろん、本人の合意は得てのことですので、発表する作文も自分で書いてもらいました。

毎年、動物愛護週間にはその年その年のテーマがあります。
この年のテーマは「みんな、いのちあるなかま」でした。
物怖じしない姪は自分から1番最初の発表を進んで受けました。
その冒頭でいきなり
「みんな、動物で癒されるといっているけれど、動物は人間の癒しの道具ではありません。」
という内容をかましてくれたのです。
会場を思わず見ると、私の所属する団体のお偉方他から拍手が沸き起こっていました。

この出来事は、私に様々なより深い気づきを与えてくれたのです。


人間を癒して回るセラピードッグは何の影響も受けていないわけではありません。
水族館のふれあい教室で頑張るイルカ達もとても消耗するのです。
人間が癒されるために彼らの命を消耗させる権利が私達にあるのでしょうか

ニューエイジ的な考えではこのような動物とは深いところで同意があるのだということになります。
しかし、私にはこれらの行為から人間のエゴを拭い去ることが出来なくて、
明快な答えが出ないままに関わるのは止めようと思ったのです。


現在アセンションの道を歩み始めて新しく知ることが出来た、
地球における他の王国を愛することの大切さからみた時に、
動物を自分と同等の存在として扱うのが最も正しくふさわしい行いなのだと思うようになりました。

メタボ猫に萌えている人達も、例えその姿が愛らしくても相手が人間だったら、
同じ様なことは考えずにダイエットすることを勧めるでしょう。
メタボ猫は、猫であるがゆえにその命を軽んじられている悲劇であるのです。
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