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愛される [ヒーリング]

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子供の頃の私は愛されることのどうしようもない渇望を抱えて生きていました。
親の姉に対する態度と私に対する態度を比較し、
自分が愛されていない(特に父親に)と、思い込んでいたからです。
父は、姉の誕生日は覚えていても私の誕生日は覚えていなかったのです。
さらには、学童クラブに提出する書類に誤って姉の誕生日を記載してくれたので、
私は毎年誕生月でない6月に誕生会をされるというおまけつきです。

姉の二十歳の誕生日には誕生石であるパールのネックレスを
自分で購入してきてプレゼントしていたのに、
私の時は何もありませんでした。
(だって覚えてすらいないのですから・・・、。)

そんな父が私の誕生日を覚えたのは、母が他界して10年くらい経ってからのことでしょうか。
姉も嫁ぎ、家族として向き合うのが私のみの日常になって、
やっと覚えられたようでした。
私が30を迎える頃のことです。

父と二人で暮らした十年は、愛されるために必死に愛した時間だったと思います。


27才の時に受けた自己啓発セミナーは、
意識の転機を私にもたらしました。
「愛されることを求めるよりも、自分は愛せるのだからいいではないか」
それで幸せなのだと、ここでは言われました。

視点の変化です。

ものの見え方が変わると、起きていることには変化が無くても、
こちらの感じ方は変わります。
父は自分が誕生日を忘れられても平気な人だから、
娘のそれにも意識を払わないだけなのです。
姉のを覚えているのは最初の娘だからであって、
姉のだからではありませんでした。
娘としては、本人はどちらがより可愛いもなかったのです。


私がヒーリングを学び始めて、
他者の言う私の両親の愛情深さというものが理解できるようになった時、
愛されている状態とはこういうのを指すのだといった自分の観念、
愛情における定義付けが見えてきました。
自分のこの定義に照らし合わせてジャッジメントして、
自分は愛されていないと思い込んでいたのです。

これに気がつけた時、心はとても軽くなりました。
自分が望んでいた形とは違うけれども、
確かに私の家族は私を愛してくれていることに気がつけたからです。

以後、私は家族の愛を疑うことはなくなりました。


最近の私の学びは愛されていることを受け入れることでした。
この世界に愛されているのにそれを納得できないマインドが、
何故もっと愛されないのかと思っていたのです。
まさに餓鬼の精神ですね。


今、私はやっと自分が世界から、宇宙から、愛されているのだということを
得心できました。
ここから日々と向き合えば、
何も恐れる必要はないのだと感じることが出来るのです。
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