高尾山 [地球の癒し]
先日父と母のお墓参りに行ってきました。
我が家のお墓は高尾、多摩御陵のすぐそばにあります。
この帰りに呼んだタクシーの運転手さんオススメのお蕎麦屋さんに寄って、
食事してから帰ってきたのですが、
そのオオスメのお店は高尾山口駅の所でした。
それで、久しぶりに高尾山口駅まで行ったのです。
この前ここに来たのはまだ生き霊に苦しめられていた頃で、
私がへろへろだったから、高尾の山の気に、
やっと一息つけるようなありがたさがあったのですが、
現在かなり回復してきているので、こうなるとすでに高尾は、
私に気をくれる場所ではなく、
吸い取られる場所になりかねないのだと理解しました。
自宅から出る日はいつでも私はガードするようにしているので、
そのような事態にはなっていませんが、
気をゆるめるととられていたかも・・・という感触です。
多くの人にとっては、自然は癒しを与えてくれる存在かもしれませんが、
実際はそうとは限りません。
自然のなかにも不浄なものが溜まりやすい場所とかもあり、
こういうものの処理を押しつけられることもあったりします。
ですから、癒されるつもりで出掛けたのに、
かえって疲れることになっているケースもあるのです。
高尾山は、東京都にある山で交通も発達しているので、
とても行きやすいお手軽感のある場所です。
それだけに、来る人の人数も多いから、
気枯れもおきやすいのです。
気枯れは穢れでもあります。
自然との付き合い方も、受け取るばかり、奪うばかりではないのを、
もっと多くの人に気がついて欲しいと願うところです。
個人がではなく、
人類の意識というレベルで・・・。
ちなみに、この日は予定外に高尾山口まで来てしまった上に、
父が一緒なので何もしていません。
何かするなら改めて、準備してからいかないと、
さすがに無理です。
タグ:自然を癒す必要
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