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病気への差別 [人生のハンデ]

世の中、気がついてみると病気の種類に対する差別や偏見があると思います。
わかりやすい例で言うなら少女漫画のヒロインやそのクラスメイトに許されるのは「心臓病」で、
決して「糖尿病」ではないということ。

どちらも病気であることの苦しさに差はなく、著しい日常の制限があることも同じなのにです。

私の病気もこの偏見の対照となることがあります。
背骨の形成不全が原因の排泄困難という「シモ」の病気になるからです。
さらにここに「女性のシモの病気」という二重苦の偏見が時々垣間見えることすらあるのです。

差別や偏見にさらされると確かに私のハートは痛むけど、
これは問題は私の方ではなく、相手側のものなのです。
この区別がつくようになってから、私は生きるのが随分楽になりました。

昔は、自分が悪いように感じていたものです。
この責められるような感覚を持つことがそもそも偏見であり、差別があるといえます。

確かに生まれつきの弱い身体やハンデのある身体で生きることをしなければならない人は、
前世で肉体を大事にしなかったという経験が原因であったとしても、
肉体を大事にして生きるという学びの過程は、差別されるようなことではないのです。

生きることの学びの内容に貴賎をつけますか。
これは人間の生まれにホワイトカラーだとかの階級を言っているのと
全く同次元の話ではないでしょうか。


ネィティブアメリカンの教えに

差別をする人は、自分が差別されたことのある人です。」

というのがあります。
もし、自分の中に何かを差別する心を見つけた時には、
ヒーリングのチャンスです。

前世も含めて差別しざるを得ない傷ついている自分を癒してあげて下さい。
タグ:生きる学び
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