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コミュニケーションにおける霊的自己責任の不在 [ヒーリング]

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姉とケンカしました。
今度のお正月についてのことでです。
姪は髙3、大学受験まっただ中です。
それで、「今年はお泊まりとかはしない。」と私が発言したことに対して、
父が「それなら自分も・・・。」と、言ったことが発端です。


さて、皆様はこの会話をどのように捉えますでしょうか。

私は姉にどんなにまくし立てられても、自分に非があるとは思えませんでした。
たまたま日曜日に引越の手伝いで会った幼なじみに説明されて、
ようやく意味が解りました。
曰く、姉や幼なじみにとって私の発言で父が「行かない」ことを決めたなら、
それは私の責任なのだそうです。

何故あんなに怒っていたのかの理由は理解できました。
理解できたら、同時に私と姉達の会話の本質の違いが見えてきました。
姉達の日常における会話には、霊的自己責任というものが欠如しているのです。

ここで誤解しないでいただきたいのは、世間的な意味においては、
姉と幼なじみはとても責任感の強い二人です。
多分三人を責任感で評価する人がいたなら私が一番評価が低いかもしれないくらいです。
けれども、二人は霊的責任感のある生き方はしていません。

それは、病気は自分の在り方が作りだしているということを受け入れられません。
治すためには自分と戦います。
食事の改善、生活の改善ということはします。
けれども、自分の在り方を変えようとはしません。

霊的自己責任のある会話というのは、
相手が何を言ったとしても決めるのは自分であると言うことを知っていることです。
上の会話において、
私が行かないといったとしても、
父が行く・行かないを自分で選択していると、
私は捉えているのです。

この会話の本質の違いに気がつけたことは、
私にとってこのケンカは収穫でした。
ただ、今後のことについてはまだ、わかりません。
あれ以後一度も連絡を取っていないし、むこうからもすっぽかしをされているからです。


最後に、最近あった霊的責任感のない会話の例をもうひとつ・・・。
先日、近所のギャラリーのオーナーさんには、
私の絵は「お金になる。」と、言われました。
そこで実際お金にするためのいくつかのアドヴァイスもいただきましたが、
その会話の終わりに、
「あんまり言っても私は責任とれないから・・・。
『売れるって言ったじゃない』と言われても困るし・・・。」という発言に、
思わず笑ってしまいました。
「大丈夫、絶対言いません。
私は自分の絵を売るかどうかは、自分が選択することだと知っていますから。」と、
答えていたのですが、
この『売れるって言ったじゃない』という発言の在り方が、
霊的自己責任のない在り方と言えるでしょう。

ちなみに、フェイスブックに大天使の絵のページを作りました。
パソコンでこのブログをご覧の方は、サイドバーから行くことが出来ます。
携帯写真ですので、
時々このブログにアップしていたものより色の再現率は、落ちますが、
まとめてご覧になることができます。
興味のある方は、ご覧くださいませ。
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