無意識が癒されることを拒む [治病]
三次元で生きている以上、全ての人に癒されると人生が好転するポイントはあります。
現在取り立てて悩みという悩みがないという人でも、です。
しかし、圧倒的に多くの人は自分を癒そうとはしません。
何故なら、癒されることで自分が変化してしまうことを無意識に恐れるからです。
なかには自分の傷が自己のアイデンティティだと、誤解している人もいます。
意識的に癒されようとしている人でも、この無意識からの影響を受けます。
癒しのための行動を自分に起こさせない理由がある人は、
この無意識からの思い込みに支配されていることも少なくありません。
こうした癒しポイントは、コミュニケーションをとっていると結構みつかるものです。
私とする対話、直接でもメールでも、ブログの書き込みでも、
こちらが投げかけた言葉のボールを受け取って投げ返してこない、
こんなことはよくあることです。
このような時に、実はその人の癒しポイントが影響を与えているのです。
本人には、その投げかけられたものを避けた意識すら残りません。
私達プロでも、自分の癒しポイントはなかなか見抜くことは難しいものです。
ですから、ある程度定期的に他者のセッションに参加することは、
とても有意義な体験になります。
私は、誕生数「9」の鏡の性質の人ですから、
他者のことはよく見えます。
けれども、自分の姿は映すことは出来ないと言われる性質を持っています。
その一方でロイヤル・ブルーの超越した視点も兼ね備えていますので、
かなり退いたところから自分を観ることが出来る質も持っています。
それで、自分に関してはマインドはあてにならないと感じています。
ですから、自己についてのアドバイスは、ハイアーセルフに訊ねたり、
ハートにゆだねたり、時々、友人のセッションを受けたりしているのです。
もし、癒されたいと思う何かがある人は、自分ひとりで何とかしようとするよりも、
他者の手を借りるほうが早道であると、私は言わせていただきます。
もっとも、回り道を好む人が世の中に、いるのも事実です。
「自分の傷が自己のアイデンティティだと、誤解する」って
なんとなく・・分かります。
ほんとは、そこをクリアにして楽になりたいのに、
なぜかしがみついてしまう感じ(?)というのでしょうか。。
刷り込み状態なのでしょうか。。
by ikuko (2013-10-21 12:28)
ikukoさん
その楽になった状態をこれまで経験したことがないから、
マインドは恐れるのです。
マインドは未経験のものを恐れるように出来ています。
つまり、恐れとはハートの働きではなく、
メンタルによる働きなのです。
by A・ラファエル (2013-10-21 12:55)
こんにちは。
先日、やっと自分なりの結論をお知らせ出来たと思ったんですが、また思い掛けないアクシデントが起きてしまいました。
先週、母が突然倒れて現在入院しております。命にかかわる病気ではありませんが、79歳という年齢もあって、どうやらこのまままた在宅介護に突入しそうな感じです。父の介護が終わってちょうど丸4年。命日の翌日でした。父の時は往診に来てくださっていた先生や関わってくださった方々に「プロの看護師以上によくやった」とねぎらっていただいて、私自身も魂と心に一片の悔いもないようにやりきった、と実感したのですが、なんだかゆっくりと休ませてもらえない運命みたいです (´-ω-`)=3
まあ、親は2人いますから、それぞれに対しての責任がありますが、やはり自分の持病があることが一番気掛かりです。現在は非常事態対応で上手く躁転していて、なんとか動くことが出来ますが。介護自体は嫌いではありませんが、そのうち反動がきて、どーっと鬱状態になると怖いですね。
介護が繰り返すというのはやはりまだ父の時だけで消化しきれていない課題があるのでしょうか?それとも母とのあいだでまだ残っている問題があるからでしょうか?悩んでいます。
悩んでいますが、仕方がありませんので、自分自身の終生のテーマとともに頑張るつもりです。介護によって得られることも大変に大きいので…。持病さえなければ言うことないんですが。 …でも欲を言えば、もうちょっと休ませて欲しかったかな… (^_^;)
by はるうさぎ (2013-10-22 08:20)
はるうさぎさん
過去記事ですでに書いてきておりますが、
介護も躁鬱病も関わっている共通の問題は、
依存なのです。
カテゴリー、依存症やうつ病などを参考にしてくださいませ。
全ての病に魂からのメッセージがあります。
これを習得しない限り、現象は次々と繰り返されるだけなのです。
by A・ラファエル (2013-10-22 10:15)
思春期から若い頃まで成績優秀でしっかりしている、と評されてきた母ですが、
私から見ると非常に依存しやすいタイプであるように思います。
生前の父に、そしてアルコールや薬などに。気付きながらうまく距離を置けなかった
(それがすごく親不孝なことに思えて)私もよくなかったと思います。
距離をとるのはなるべく若いうち、なおかつ双方が元気なうちでないといけませんね。
とことん弱くなった親というのも見捨てられないものなので、悩みますが…。
実は今年の夏に、別に住みたいと考えたことがありますが、実現しませんでした。
日本における監修とシステムの中で、「在宅介護は当たり前」という意識も
強いです。両方から距離を置くのはたやすいことではありませんね。
でももっとじっくりと考えてみたいと思います。ありがとうございました。
by はるうさぎ (2013-10-22 12:18)
はるうさぎさん
日本は夫婦の在り方そのものが依存的なので、
親が依存を抱えたまま子供を育てていますから、
子供も又依存を抱える悪循環に陥っています。
何より大切なのは肉体が依存的であっても、
心・・・魂が依存していなければ問題ないと私は思います。
この意味で、
ここでの会話に、あなたの依存的傾向が表れています。
例えば、他者の才能や学んで得た技術に対価を払うということの自立性を
理解していらっしゃいますか。
大変な状況になったあなたにきついことを言うようですが、
出来ないことの理由をいくらみつけても、
ご自分を真に自由にすることはないでしょう。
by A・ラファエル (2013-10-22 12:55)