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何が起きている!? [人生のハンデ]

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今日は二ヶ月に一度の診察日でした。
いつものように受付を済ませると、地下に行き、採尿です。
この結果を見ながら診察をうけるので、
いつも診察の1時間前に病院に入ります。

検査が済んでも1時間は呼び出されることもないので、
上にあがってゆっくりとコーヒーなどを買って、さらに上の階にある腎臓センターで受付を済ませて、
レストランに続く、渡り廊下に近いところに座って、
コーヒーを飲みつつ、本を読んだりして時間をつぶすのが定番です。
診察室に近いところは、わざと照明の明るさが下げられています。
私は眠ったりはしないために明るいところに座るようにしています。
今日は、8割方書き上がった論文の文字数のカウント作業で時間をつぶしていました。

呼び出されて診察室に入ると、先生の開口一番は、
「熱はない?」で、
この一言で、尿検査の結果はよくなっていないのがわかりました。
尿素は減っているので薄くはなっているのに、
白血球の数は変わらないままだという結果に、
こちらもがっくりです。

悪化もしないけれども、よくもならないのが続き過ぎなので、
考えられる可能性として、
膀胱内に石が出来ていて、この石の周りに菌が付着しているケースと、
膀胱の変形でポケットが出来てしまい、そこで菌が増殖しているケースがあるそうで、
次回は腎エコーも受けることになりました。

どちらにしても、イエローカード状態であんまりお出掛けとかもまだできそうにありません。
生殺し状態が続くというわけです。

ひたすら、論文の執筆に打ち込めということかもしれませんね。
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遺伝子を癒す [人生のハンデ]

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現在読んでいる本によって、私の自宅は「女運」を上げるインテリアになっていたことに、
気がつきました。
あいかわらず大ぼけな私です。

それで、ほんの少しずつですが、運気を上げるために、
模様替えをしています。

この本によれば、誰の人生もその9割は決まっているそうです。
残りの一割が手を加えられる部分で、ここから変更が出来るというのです。

私は基本的に自分は強運の持ち主だと思っています。
ただ、人生における価値観や重要性が、大多数とは違うから、
他の人にわかるような強運として表れていないのではと考えています。

この大多数と違う価値観や観念を私にもたらしたのは、
私の障害の原因である遺伝子異常による影響は大きいと思います。

肉体というものでさえ、大多数の人と違う構造になっているのですから。
他の人にとっては当たり前の普通の反応が、
私にとっては普通ではなく、
私の普通を他者から見た異常という所に視点や定義付けをしてしまうと、
私は自己否定から抜け出せなくなってしまうからです。


こうしたことがあるからこそ、私は普通の人の感覚や視点と、
自分独自の感覚や視点というように、
複雑に事象を学ぶ機会を得られてきたと言えるでしょう。
私が現在のような職であれば、
この学び身につけてきたものは大いに役立つものであるのです。

私にメリットもデメリットももたらすこの遺伝子異常を、
シータ・ヒーリングは癒せると言います。
シータ・ヒーリングの本に載っていたのは別の病気のことですが、
二分脊椎と同じで、遺伝子異常が原因の病気についてのヒーリング・テクニックでした。
このテクニックのなかの遺伝子を癒すという部分は、
そのまま私に対しても応用がきくと確信できました。

二分脊椎症は、生存率が低いし、胎児のうちに判別がつくので、
普通は産まない選択がされてしまう国もあるくらいで、
症例も研究データも少ないから、
こうしたヒーリングの本に癒しテクが載るなんてことはまずありません。


もしかすると、私が自分を癒すために学んできたことは、
貴重なデータになるのでしょう。
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困ったことに異常なし [人生のハンデ]

本日は病院に行ってきて、腎エコー検査受けてまいりました。
結果、膀胱には異常なしで右の腎臓には小さい石があるものの今年1月と比較して育ってないし、
場所から言って動かない痛みも出ないという状態で腎臓もいたってキレイという結果が出ました。

つまり、白血球の多さの原因になるものが何もないということに。


今年のほぼ一年間、江ノ島に行くのさえ控えて暮らしていたのは効果があったのか無かったのか・・・。
私の場合、膀胱に入り込んだ菌は、上にいきもせず、
発熱させることもなく、痛みもほとんどないという悪さをしない状態なので、
「特別、抗生物質は出さないから。」と、言われました。

もちろん、菌はいるよりもいないほうがいい。
ただ、大腸菌以外の菌は検出しないし、その量も実は微量なのだとか。

この大腸菌は導尿のためにカテーテルを挿入するから、
入り込んだものという。
防ぎようのない種類のもの。

カラダが現実(データ)を裏切っているようです。


こんなわけですので、膀胱炎にはもうこの後は特別気を使うのは止そうと思います。
ただ、冷え対策は続けます。
こちらには子宮の不調も絡んでいましたから。


論文はすでに修正を終えて三度目の提出を済ませました。
これで受かってくれればいいのですが・・・。

とにかく、クリスマスと正月の間は気兼ねなく過ごそうと思います。
昨日は大天使ダニエルのイラストを描いてました。
私って絵を描いているとご飯食べなくても平気なのだと気がつきました。
夕飯も間食もいらなくて、
手だけ黙々と動かしていました。
これは、普段が心の満たされないものを食べ物で満たしているってことかもしれませんね。
タグ:膀胱炎 障害
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なんだったっけ? [人生のハンデ]

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今日は定期診察日でした。
新宿のJ病院に通うようになってからずっと担当してくれていたS医師が、
4月から病院を移ることになりました。
これまではこの医師が移動すると患者も移動先にくっついていくパターンだったらしいのですが、
今回はそれはできないという。
なぜなら移動先は世田谷区内にある国立成育医療センターであるから。

我が家の近所に勤務先が変わるのに、かかるわけにはいかないことになりました。
前身である国立小児病院に自分もお世話になっていましたから、
あの病院でS医師の経験と知識が必要とされるのは、想像に難くない。
赤ちゃんから導尿を必要とする子供が沢山いるらしい。
S医師は以前は隣の神奈川の病院に勤務していて、
神奈川では、二分脊椎の子供はS医師のいたその病院に集まってくる、
「あそこでは、年に10人、生まれていた。」というお話を聞かせていただきました。
神奈川だけで、10人というのは、外国に比べれば、やはり多くの母親が、
出生前診断でわかっても産む決断をしている国だと言える数字なのではないでしょうか。

ただ、このうち何人が無事大人になれるのかの数字は、私は知らない。

二ヶ月に一度の通院の私は、S医師とは今日が最後の診察でした。
最後ということで色々訊いてみたい気もしていたのですが、
待合で待っている間に、
一種の天啓があり、質問はせずに、
けれども、先生と一緒に大爆笑の中、診察は終了しました。

何がそんなに可笑しかったのかというと、
本日の医師からの最初の質問がタイトルの、
「何でおしっこがでないんだっけ?」で、
質問の意図がわからず私も目を白黒させながら、
「いや、出なかったことは私はないですけれど・・・。」と、
しばらく会話を続けるうちにやっと、S先生の訊きたいことが何なのかわかったという。

「そうだ、二分脊椎だ。」

あまりに基本的なことなので、まさかこれを訊いているとは思いもしませんでした。

私が病院に何故通っているのかの理由、しかし病名というには違和感のあるこれ。
だって私、障害あっても健康ですから。

何故こんな会話から始まったかというと、私を次回からほかの医師に託さねばならないのに、
病院が現在システム変更中で、過去のデータが画面に出せない状態になっているうえに、
私は外見上は二分脊椎症患者らしくないので、
病名がすぐには出てこなかったらしい。

そう、私の障害は同じ二分脊椎の人のなかでも軽いのを知っています。
私のように「自分の脚で歩ける人はいない」と、
今日のS医師も言っていました。

成長途中でカラダのバランスが酷くなることも、めずらしくないらしい。
ですから、最初から歩いていて、現在も自力で歩けている私はかなり珍しいのかもしれない。
もっとも私も自分の知識と技術を総動員して、
27才の寝たきりになった時期以降は、西洋医学以外の方法で、
常に肉体のケアを続けています。
こういうことは、他の人はなかなか出来ないから、
状態が悪くなってしまうとそのままになってしまうのかもしれません。


文章が大分長くなってしまうので、
今日、どんな天啓があったのかについては、また別の機会にアップしようと思います。

タグ:二分脊椎症
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スペースを一新します [人生のハンデ]

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皆様にご心配いただいておりました部屋探し、なんとかみつかりました。
今週中に契約に行ってまいります。
場所は同じ世田谷区の行政地区としての砧地区内での移動です。
最寄り駅は、今度は祖師ヶ谷大蔵です。
気持ち駅に近づくことも出来、駅からウルトラマン商店街を真っ直ぐ歩いてきて、
1本曲がるだけですので、とてもわかりやすい場所になります。

近所での引越ですので、これで最後ということもないと思いますが、
今年はお隣さんのマグノリア(白木蓮)の夜の撮影に挑戦しました。
FBでは、昨日からアルバムで公開してますが、ソフトフォーカスかけた写真よりも幻想的です。

ここのアパートに越してきて、毎年毎年本当に楽しませてもらったマグノリアです。


部屋探しが難儀した理由は、生活保護を受けている障害者であるということ。
みつけた部屋もはじめは家賃を私ではなく国から直接振り込みにという要求が出ました。
保護担当者に相談すると、そういう制度は寝たきりなどの自分で払いに行けない人や、
過去に家賃滞納などでトラブった人しか利用できないそうで、
私には適用が無理ですと言われました。
ある意味、保護担当者は私のことを信用してくれているわけですね。

不動産業者のこちらをさげすむ態度に嫌な気分になっていたのが、
保護担当者の態度と言葉で浮上しました。
制度についての認定の説明を業者にすると、やっと納得してくれました。


先日、生活保護者が過去最高の人数になっていることが、
ニュースになっていましたが、
この大半は老人世帯ということで、
私のような障害者世帯は全体の11%という母子家庭よりも少ない数字でした。

今回の部屋探しにも実感するのですが、
どうも社会は障害者がひとりで暮らすということを前提にしていない気がするのです。
都営の優遇抽選に対しても、ひとり世帯は対象外ですしね。

依存させることは自立の妨げになることを、
社会が理解するようになるにはまだ時間がかかるのかもしれませんね。

ともあれ、部屋探しは終わり、役所での稟議も通ったので、
来月に、引っ越しします。
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死への恐怖 [人生のハンデ]

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もうすぐ50才の誕生日を迎えます。
私は、残念ながら誕生日の頃にあまりいい思い出がありません。
それは、時期的に新学期が始まって慌ただしい頃であるというのと、
この時期によく自分が死にかけたことがあるからです。

今、振り返ってみると何故そうだったのかは、医学的に説明がつくのですが、
あの当時はわかっていなかったので、
私は毎年この夏の終わりから稲刈りが始まる頃までの時期を、
とても複雑な気持ちを抱えながら過ごしていました。

「今年は大丈夫だった。でも、来年は・・・?」
その年、腎盂炎を起こしても起こさなくても死の恐怖は消えませんでした。
高校生の頃の自分が、こういう思いに取り憑かれていたことをはっきり覚えています。
実は現在もこれはいつでも起こす可能性があるので、
自排尿をせずに導尿を行う毎日です。
通っている病院の担当医からは、
「高熱が出たら、予約に関係なくすぐ来るように。」と、
膀胱炎の可能性が消えない私に言います。
膀胱に菌がいる状態ですと、私の身体は何時逆流症状によって、
腎盂炎を起こしても不思議がないからです。

誤解のないようにいうなら、一般の人は膀胱炎を起こしたからといって、
簡単に腎盂炎にはなりません。
尿管は、普通は一方通行で逆流症状というものをそうそう起こさないからです。
膀胱の内圧が高い私だから、
簡単に起きてしまうだけです。


こんな私が何時死への恐怖を手放したのか、
明確な時期は覚えていません。
とにかく、目の前にあるものを無くしてしまおうという努力をするのではなく、
あるものをただ、そこにあると認める、
いつか来るその時を気にすることよりも、
【今】を楽しむ。

こんな風に生き方を変えただけです。

実際、イニシエーションとして断崖絶壁の上に立たされたこともあります。
群馬県の某神社の奥宮でのことです。
山のてっぺんのお社の横に建ち、足元を見た時に、
「この高さから落ちたら死ぬなぁ」とは考えました。
横風が強くて身体はふらふらするのですけれど、
落ちる恐怖はみじんもありませんでした。
そこの神様に導かれてその場所に上がったからです。


手放すという行為は、持っているものを手の中から無くすことではなく、
手の中にあることを認めそれ以上でもそれ以下でもない、
そこに何の執着も持たない状態を言います。
明日死ぬかもしれないなら、今を慈しんで過ごす。
死ぬ可能性はなくなってはいないけれども死ぬ恐怖にエネルギーを注がなくなった
それが私を生かし続けている力だと思います
タグ:二分脊椎症
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自分を愛する [人生のハンデ]

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遺伝子異常という身体に生まれ今年の9月をもって50年を生き延びてきました。
私は生き延びる、もしくは生き抜くことにかなりのエネルギーを注いで来たと思います。

27才の時に腰痛で倒れ、寝たきりになって自分と向き合い始め、
西洋医学の医師に手術を断られたことがきっかけで、
東洋医学やオルタナティブな医療に目を向け、
15年前からは自身がオーラソーマのプラクティショナーになり、
その後バッチ・フラワー・エッセンス・セラピストの資格も取得し、
心と身体の病の関係を学び続けてきました。

そうして、大嫌いだった自分を好きになれてきて、
消えない疑問が私の内に出来ていました。
身体に出ている障害を消したいという欲求は、
自分を愛し切れていないからではないのか?

一つ前の人生での最後の自分とクリスタルによる瞑想でシンクロして、
自刃による肉体の破壊が原因であることを知り、
前世を癒す必要性を知りました。
何故、自刃したのかは、前世の義理の妹の生まれ変わりより聞かされていました。
幼なじみによるレイブが切欠だったのですが、
この人の生まれ変わりとも早々に出会っていて、
治療者として私を治すこと、少しでも症状を軽減することに自身の力を尽くしてくれたので、
彼をゆるすことは簡単でした。

前世療法も行う精神科医越智啓子先生は、その著書のなかで書いています。
最大限にこちらを傷つけることが出来る相手とは、
魂としてはとても仲のよい相手であるというのです。
私達は愛を学ぶために、「傷つけられる」という経験をしているというのです。

これを知った時に、正直私は複雑でした。
ゆるすまでは簡単でしたけれど、
「傷つけてくれてありがとう」とまでは、思えなかったからです。
ここに感謝が持てる日が来るのかも、
身体の障害という現実と向き合う私には疑問でしかありませんでした。


今日、私には遺伝子異常による障害は、病気なのかしらという疑問も出てきました。

これは、健常者を基準にジャッジしているから、
異常がある・・・・病気ということになっているだけではないのかしら?
健康と病の定義について考えてしまいます。

生き延びるために首が長くなっていったキリンを異常だとは誰も思わないでしょう。
特定の遺伝子によりマラリヤに感染しない人々がいることを思い出すと、
生物人間の多様性の中に、遺伝子の変種も含まれると思うのです。


こんな風に考えられるようになったのは、
このままの自分をそれもありと思えるようになったからでしょう。














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遺伝子異常へのアプローチ [人生のハンデ]

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二分脊椎症は個人でかなり症状が違います。
私の場合は服を着ていたら見た目ではわからないほどです。
けれど、遺伝子という単位で他者とは違うわけで、
遺伝子の情報に基づいて私達の肉体はつくられるのですから、
ここの情報が違えば、出来上がりも違うようになる。
そんな仕組みで私の身体は、他の人とは違ったつくりをしているわけです。

何が違うのかというと、背骨なのです。
仙骨から腰椎にかけての位置に普通の人にはない脂肪の瘤があり、
これが脊椎の形成を邪魔しています。
邪魔されてしまった背骨は、本来はトンネルを形成していて、
ここを脳からの指令を伝える神経が通っています。
ところが、このトンネルが無くなって脂肪が道をふさぐような位置にあるから、
神経が繋がっていないような場所が体内にあるわけです。
左足に関しては痛覚もやや鈍いですが、
神経が繋がっていないもしくは変な繋がり方をしている影響は、主に内臓に出ます。

こうした結果、排泄器官に一番影響が出ているわけです。
脊椎が形成されていない影響で両下肢肢体不自由も出ます。
私のように自分の脚で歩ける人は、他にはいないと言われます。


さて、遺伝子は「想い」で書き換えられるなら、
ここは、異常を創り出している「想い」のパターンを変更してしまえばいいだけです。
明かに、潜在意識にある情報もしくは魂につけられたネガティブパターンですので、
ここでいわれる「想い」とは、感情レベルのもののみを指しているわけではありません。
テクニックとしては、精神体ボディ・天空界ボディ・コーザル体・これ以上のサトルフィールドボディの
変容が必要ですし、
宇宙の法則などが絡んでくるので、ここの解除には、
「ザ・ジャッジ」などにコンタクトの取れる能力者の存在も不可欠です。
幸いにも、私はこれらをクリアーできるサイキックな人でした。

これらの目に見えない次元のことをクリアーしても、
肉体に残るものを処理しなければ、解決しません。
私の肉体には脂肪瘤があるからです。
肉体は7年かけて、全部の細胞が生まれ変わります。
つまり、異常をつくりだしていた遺伝子の情報が書き換えられたとしても、
新しい情報での肉体が出来上がるのにそこから7年、通常はかかるわけです。
それで現在毎晩、この脂肪瘤を体内から消すヒーリングをお願いしています。
とはいえ、かなり時間のかかる作業になるとは、言われています。
身体の中をいじられるのでヒーリングそのものにも痛みが出ることもあります。
でも、明らかに何かが変化していくのがわかるという意味では、
痛みが出るのもいいものです。

先日の19層のヒーリング以降、今までとは違った視点が開けてきて、
自分へのアプローチにも変化が出てきています。


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死ぬことの可能性 [人生のハンデ]

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今回は、直接癒しには関係のないお話ですことお断りしておきます。

先日、生命保険の勧誘の電話が来ました。
最近の既往症があっても入れるタイプのものの紹介です。
私は生まれてから50年1度も生命保険という名のつくものに自分のことで掛けたことはありません。
母に関しては、本人の癌が発覚してから、本人の希望で母が自分に掛けていた契約のものを
契約者変更という形で私が掛けている形にしました。
私がまだ未成年の頃ですが、高校を卒業したということで支払い能力はあると見なせると、
保険会社との同意のもとに契約の移行を行いました。

私は母の死とともに、若年の者には大きな金額を受け取ったわけです。
そんな、保険におけるおいしい話を体験していても、
私自身は保険を掛ける対象にはなりません。
かけたくっても断られる、審査に落ちる人なのです。

私が医学的には何時死んでも不思議ではない存在だからです。


既往症があっても入れる、入院や手術の経験が1年以内になければ入れるといっても、
私のようなもともとの既往症が原因で今後悪化、入院や手術の必要性が出たり、
先進医療を受けることになった場合は、対象外だという。
目の前にいつでもある問題には対応しないで、
発生するかどうかもわからない癌等に備えるなんて、
不安や恐怖または保証のためにエネルギーを注ぐ趣味は私にはありません。

そうはいっても、まさかの時があるから・・・と、考える方は、
自分の顕在意識と潜在意識に断絶があり、
そこに責任を取ることなど考えてもいないということなのです。

保険会社の人とは電話で話したのみですが、
「声からは、そんな障害を抱えておられるようには感じられません。」とか。
いやいや、私の場合は声だけでなく、外見もそうは見えませんよ。
日本に3人しかいないという二分脊椎症の専門医さえも、
「どうしてこの人(私のこと)を診ているのだっけ?」と、わからなくなるような外見の持ち主です。
それでも、死にかけたことは数えきれず。
なのに、入院も手術も一度も経験したことのない人です。

医学の常識の外で、生きることを自分で選択し続けてきた私なのです。


死は誰の上にも平等に存在し、
故に生も又平等なのです。

死ぬことと同じように平静に生を受け入れること、
私のような存在にはこちらのほうが難しいことなのです。

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ヘルプマーク [人生のハンデ]

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昨日は病院にて腎エコーを撮ってもらってきました。
あいかわらず右の腎臓の石は健在です。
でも、育ちもしていないし、動きもしていないから、
このままの様子見続行です。

大きさは7mm程だそうで、
この大きさは自然に出ることもあるかもしれないというぎりぎりの大きさだとか。
ただ、ぎりぎりなので反対に引っかかることもあるかもしれないとも・・・。

私があの病院に通い出したときに、みつかって以来育っていないので、
今後も育つ可能性は薄そうです。

ひまし油のマッサージも毎日はなかなかできなかったし、
一ヶ月ではそんなに効果も期待できませんね。
気長にこの件は対処しようと思います。
現在は石があるっていうだけでまったく何も悪さはしていない存在なので・・・。


その病院にいく前にFBで「ヘルプマーク」についての記事を私は読みました。
東京都の交通局で配布されている外見からはわかりにくい障害者への
配慮を促すものです。
私が都営交通を使うのは、病院に行く時くらいで、
それも新宿西口から2駅乗るだけなのでこの為だけにもらうのも・・・という気持ちがあって、
これまでもらわずに過ごしていました。

けれど、昨日は病院のある駅の改札出たところにも、
ヘルプマークに関するポスターが貼られていて、
これは「サイン」かもしれないと思い、
帰りに駅員さんに声を掛けていただいてまいりました。

記事で読んでいた通り、証明書も何も見せることなく渡されるのには驚きますが、
私は目の前で障害者に配布される無料交通券を使って改札に入ったところで、
声かけしていますので、疑う必要もなかったのかもしれません。


私の場合は他者の助けを必要とするようなことは普段はありません。
けれど、不安定な私の脊椎の状態で揺れる電車やバスで立っているのは、
ふらついて危険なので出来れば座りたいところ。
そうして私がシルバーシートに座っていると、
免罪符のようにご自分も座る方もいれば、
お年寄りが乗ってきた時に私に視線が来て、
無言の立ちなさい、譲りなさいアピールを受けることが多々あります。

でも、お年寄りだって色々ですし、
身体というのは使っていないと衰えるものだから、
大事にすればいいとは限らない。
若者だって疲れている時は座りたいでしょう。
空いているときは、シルバーシートだって座ってもいいと私は思います。
でも、それこそ見た目では判断できない世界です。

私はこの数年の経験で、他の人にずるの口実を与えなくて済むなら、
ヘルプマークを身につけるのもありかもしれないと思いだしていたのです。

もっとも、障害者手帳の公示もなく、受け取れるために、
それこそこれを嘘で身につけているという人もいる可能性をFBの記事は示唆していました。


ヘルプマークは、現在の所、都営交通のみの試みですが、
マタニティマークのように全国に拡がる可能性も持っています。

目に見えているもので判断していることの危うさを
このマークは私達に示してもいるのです。
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分断された医療-西洋医学の限界- [人生のハンデ]

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先週の金曜は通院日でした。
私の障害の病名は二分脊椎症ですが、私がかかっているのは泌尿器科のみです。
この所の体調は、長く続いた膀胱炎を治してから、こちらの面では落ち着いています。
ただ、気をつけないと腰痛が、背骨の痛みが頻繁に出るので、
部屋でごろごろしている日が最近多いので、このことを主治医に尋ねてみました。
他の二分脊椎症患者はこういうことにはどういう対処をしているのかと。
すると、
「私からそのことについて訊いてみたことはないけれど、
形成外科にも通っている人はいらっしゃるようよ。」との返答でした。

泌尿器科の医師だから、ほかの分野は診ないというのも理解できなくはない。
しかし、二分脊椎症という病名でわかるように、
私の障害は、腎臓や膀胱そのものに問題があるわけではない。
脊椎の形成不全からほかの症状があらわれているのです。
幸い私は脳にはまったく影響が出なかった。
しかし、背骨に安定がないというのは、いろいろしんどい。
背骨の基底部が安定していないから、その上の部位に側湾症が出る。
生体などに行って定期的にケアはしてもらいますが、
私の場合は側湾症も完治は出来ない。
悪化させないようにするだけなのです。
そのためのケアを形成外科に通う患者もいるということです。

でも、訊ねたことがないということは、
同じ病気の患者に対して科が違えば連携もないということをも表しています。
そのことに、西洋医学の治療方法の限界を私は感じずには、いられません。
タグ:二分脊椎症
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脱力 [人生のハンデ]

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昨日父の所へ行くと、
「退院が早まったぞ。」と、嬉しそうに言われました。
切り取った組織検査の結果も出て、
ガンになる一歩手前の潰瘍だったそうで、
私は心密かに『やはり』と思いながらも口から出る「よかったね。」は、
本音でもあります。

何故『やはり』かと言えば、
私の父はガンになるような性格の持ち主ではないから。
持って生まれた遺伝的形質も発症には関わっているでしょうが、
次に大きな要因には本人の性格的生き方も関与する。
生来楽天的な父は、
ガンと関係する強い怨みや深い絶望、悲しみと無縁の人なのです。
母が他界したことが、もちろん父にとっては深い悲しみをもたらしたのを知っているけれど、
その後の父が母の死を引きずって生きるような人でなかったのは、
十年向き合った私は理解している。

何かというと「ふざけている。」が口癖の怒りっぽいけれど、
さっさっと忘れることができる父の性格は、
ガンよりも潰瘍的だと、私は思っていたのです。

さらに、この結果が出る前に「ガンだ。ガンだ。」と、騒げるような人だから、
人騒がせという意味では問題あるのですが、
本人はストレスを溜めないという健康的な意味では問題のない人なのです。

そんな父の元から帰宅した私の所に、
都政府からの「がん検診に関する調査」が、届きました。
こちらを記入していると、
私を選んでしまってよかったのかという疑問が湧いてしまうのでした。

まぁ、無記名の記入だし、私のような変わり種がいてもいいでしょう。


職業訓練を受けたことで支給されたお金でパソコンを買いましたが、
約一年後に収入認定され、
返還金として返済を続けていたのがやっと今月払い終わりました。
ながかった・・・。

イギリスに行ってオーラソーマのT1受けるためには、
渡航費用と授業料に50万くらい必要な計算になるのですが、
私の現状では、例え50万が宝くじで当たったとしても、
全部返還金扱いになることが理解できました。
宝くじ当たるなら、高額当選でないと何も出来ないと言うことですね。
今年の始まりに某占い師に再三、「高額当選者になれる。」と言われていましたが、
過去1等の順番違いはありました。
途中の数字が56でなく65なら1等だったのにという具合のもの。
人に言わせるとそういう時は、続けて買うと当たるのだとか!?
私は冷めた人なので、あの時は、次は買いませんでした。

でも、そろそろ自分の本領を発揮した生き方に切り替えていこうと、
思う私でした。


タグ:満月
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何が自分に働くのか [人生のハンデ]

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いや、一週間ほど苦しみ続けていました。
それは出ないからでした。
毎日キウイを食べたりもして食物繊維もたっぷり摂っているし、
ヨーグルトもサプリの乳酸菌も摂っている、
食事はダイエットのための野菜だけのスープを3食メインにする
そんな一週間の中半から、出なくなりました。

肛門近くにはやや硬くなったお便ちゃんの存在が、
周辺マッサージでわかるほどなのに、
とにかく出ない・・・・・・。


私の場合、骨盤底筋に繋がっているはずの一部の神経が繋がっていないらしく、
肛門を開いたり閉じたりということを自分の意思で行うことが出来ません。
日常これでどんな不都合があるかというと、
出たくなった時の我慢がきかないところでしょうか。
これ故に浣腸薬は危なくて使えない。
大惨事に繋がる恐れがあるからです。
自宅の中にいてさえトイレまで保たないこともありえるのです。


毎日出血を伴うほどのマッサージ(押出ともいう。皮膚が極端に弱いためです。)で
ほんの僅かずつのお通じのみが続いて、
下からの圧迫で食事も量が入らなくなるという初めての経験にいたり、
思い出したのが、プルーンと絹の腹巻でした。
プルーン、私にはジュースタイプのほうが効きが速いのですが、
最寄りのお店にはなかったので、種抜きプルーン240g1袋を買ってきて、
二日かけて食べきりました。
ここにきてチャクラの方にもやっと肉体の不調の状態を反映したデータが出たので、
これをヒーリング。
この時のデータではベースチャクラがまったく動いていませんでした。(0%という状態)
その二日目の夜、
ようやく動き出した腸をマッサージしながら、トイレに数回通って就寝。
翌朝にも数回出たり入ったりを繰り返し、やっとお腹が軽くなったのを体感しました。

CIMG3607.JPG

これまでも便秘が酷くなるのはありましたが、
ここまで続く前に下痢になるというのを繰り返していたので、
出したいのに出ないが続いたのは、初めてのこと。
4月からゆっくりと5番ボトルを使っているとはいえ、
ここまで苦しみながらベースチャクラに現れているものと向き合うことになるとは、
思ってもみませんでした。
ボトルは後3分の1ほど残っています。

蒸し暑さに弱いので、今年は早めにクーラーを使用していましたが、
こうしていれば快適なのですが、お腹に手を当てると体表はひんやりとしています。
つまり掌より温度が低いのです。
下すほどではなくとも機能低下にはなるのだと、冷えの怖さを体感しました。
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